センサデータだけではAIの学習データにならない
射出成形機の型内圧力の波形が1万本あるとします。この波形で不良を予測するAIを作るには、それぞれの波形が「どの品番の、どのロットの、何番目のショットで、そのショットは良品だったか」が分からなければなりません。設備のPLCやヒストリアンには時刻と値しかなく、品番・ロット・良否は記録されていないのが普通です。
この「どのときのデータか」という情報を文脈(コンテキスト)と呼びます。工場で文脈を持っているのはMESです。MESは、ISA-95(製造業の業務システムと制御システムの統合に関する国際規格。IEC 62264)でいうレベル3の製造オペレーション管理を担い、作業指示・ロット・実績・品質判定・設備状態を記録します。OPC FoundationのISA-95共通オブジェクトモデル仕様(OPC 10030)では、レベル2がサブ秒単位のリアルタイム制御、レベル3が秒〜日単位で保全・品質・在庫移動を扱うと整理されています。
AIのPoCで精度が出たのに品番切替後に精度が崩れる、材料ロットが変わると誤報が増える、という現象の多くは、この文脈がモデルに入っていないことが原因です。
MESがAIに果たす3つの役割
MESはAIに対して、次の3つの役割を持ちます。
役割1:学習ラベルの供給元
教師あり学習には正解ラベルが必要です。製造業のAIでは、MESに記録された品質判定(良否・不良コード)、設備の停止理由、検査の測定値がそのままラベルになります。外観検査であれば検査工程の判定結果、品質予測であれば後工程の検査結果、予知保全であれば停止理由コードや保全記録です。ラベルの粒度と正確さは、MESへの入力の仕方で決まります。停止理由の半分が「その他」で入力されていれば、AIもその粒度でしか学習できません。
役割2:時系列とロットを結ぶキー
設備の時系列をMESの実績と結ぶには、共通のキーが必要です。代表的な方法は次の3つです。
| 紐付けの方法 | 仕組み | 向いている工程 | 注意点 |
|---|---|---|---|
| 設備ID+時刻範囲 | MESの着手・完了時刻の範囲に入る時系列をそのロットに割り当てる | バッチ・ロット単位の加工 | 時刻同期のずれがそのまま誤紐付けになる |
| ID伝送 | MESがロットID・シリアルをPLCに書き込み、PLCが時系列と一緒に記録する | 1個流し、シリアル管理 | PLC側の改修が必要 |
| 読取イベント | 製品のバーコード・RFIDを読み取った時点をイベントとしてMESと設備の両方に記録する | 搬送を伴う多工程 | 読取失敗時の扱いを決めておく |
最も手軽なのは設備ID+時刻範囲ですが、PLC・ヒストリアン・MESの時計がずれていると、別のロットのデータが紛れ込みます。時刻の扱いは工場データの時刻ずれ対策で詳しく扱います。品質の要求が高い工程では、ID伝送か読取イベントで個体単位に紐付けるのが確実です。
役割3:判定結果の出口
AIの判定が業務を変えるには、結果が工程に戻る必要があります。MESには、ロットのホールド、再検査の指示、作業指示の変更、アンドン(異常表示)との連携といった機能があり、AIの結果をここにつなげることで、判定が実際の業務の動きになります。MESを通さないAIは、ダッシュボードで結果を見るだけの仕組みにとどまりやすくなります。設計の詳細はAIの推論結果をMESに書き戻すで扱います。
MESデータをAIに使うときの実装上の注意
MESのデータは業務のために設計されており、AIのために作られてはいません。実装でよく問題になるのは次の点です。
1つ目は、データの持ち方です。多くのMESは作業実績をトランザクションのテーブルに記録し、完了時に集計値を残します。工程内の途中経過(どの時点で何をしたか)が残らない設定になっていると、時系列との紐付けが粗くなります。
2つ目は、マスタの改番です。品番の改番や設備の更新で、同じ実体に複数のIDが付いていることがあります。過去データを学習に使うときは、改番の対応表がないと品番単位の分析ができません。
3つ目は、DB直接参照の誘惑です。MESのデータベースを直接読めば早くデータが取れますが、MESのバージョンアップでテーブル構造が変わると連携が壊れます。本番ではAPIやイベント配信での連携を検討してください。方式の比較はMESとAIをつなぐ3方式にまとめています。
AIの企画段階でMES担当者を入れる
AIのテーマを企画する段階で、MESの担当者(情報システム部門、またはMESを導入したベンダー)をメンバーに入れることを勧めます。どのデータがどのテーブルにどの粒度で記録されているか、どの機能に結果を戻せるかは、MESを知る人でないと判断できません。
MESのどのデータがどのAI用途に使えるかの一覧はAI学習に使えるMESデータ一覧で整理しています。
よくある質問
MESがない工場ではAIを始められませんか?
始められます。品番やロットを設備側で入力する、生産指示書のバーコードを読み取って記録するなど、最低限の文脈を残す方法があります。ただし、AIを複数のラインやテーマに広げる段階では、文脈を一元的に持つ仕組みが必要になります。
ERPのデータではだめなのですか?
ERPは受注・購買・在庫・原価など日〜月単位の計画と結果を扱い、工程内の時刻・設備・作業者の情報は持たないのが普通です。時系列と結びつけるには、秒〜分単位の実績を持つMESのデータが必要です。
MESの改修が必要になるのはどんな場合ですか?
紐付けのキーが記録されていない、停止理由や不良コードの粒度が粗い、外部にデータを出す手段がない、の3つが典型です。AIの企画段階でこれを確認し、改修費用を見積もりに含めてください。
この記事に出てくる用語
AIは「データ基盤」で決まる
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